杉山洋子料理工房
 


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FOOD TALK

教室でお料理を教えたり、世界の「食」を求めて旅をしたり、 また日常生活の中から役に立つアイデア、新しい発見、感激など、「食」に関するエッセイをお届けします。



除夜釜

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秋に一カ月ばかり日本へ行って戻ってきて 、ルーティーンの生活リズムを取り戻すのにやっと慣れたかな、と思う頃、 サンクスギビングでリラックスして、家族だけのシンプルさでごちそうをつくり、のんびりしていた連休最後の日曜日の朝、 日本の姉から電話。弟が急逝したとの知らせを受け、すぐ飛行機便を探し、電話から2時間半後にはシアトルの空港に向っていた。

生涯、ハンディキャップを背負った、家族の中で一番大事にされた弟だった。週日、寄宿生活をおくっていた学校関係者、 町内の人々、姉妹、親戚、友人達列席のもと、清々しい、暖かな葬儀が京都の南禅寺に次ぐ格のお寺、神戸の須磨、 禅昌寺で執り行なわれた。

心から愛した家族がひとり、ひとり逝ってしまうことのむなしさ、遠く外国にいて、ふだん何もしてあげられなかったもどかしさ 。秋に2―3度食事をともにし、元気でねと、別れたあとだった。

シアトルに帰って来て、4日後から、毎日、写経をはじめた。
母の時以来で15年ぶりだ。お料理の生徒さんの一人から、彼女のお父様が逝かれたとき、100枚写経したとの話を聞き、 母のお葬式のあとで京都へ行き、なんだか虚ろに思ったとき、筆やさん、龍枝堂をみつけ、写経一式を求め、帰って来てからはじめての般若心経を、ぼちぼち書き始めたのだった。 20日ほどもすると写経用紙がなくなり、そのあとは 普通の半紙で書くのだが、そうすらすら書けなくて、100日するのに、ときどき飛んだりしたが、 まあ、5―6日抜けたかなと思う。

決まったことを毎日続けるというしんどさを嫌でも経験した。 私みたいに結構ちゃらんぽらんな性格で、どう、こう、きっちりできるのだろうか。几帳面な性格だったら、 しやすいかも知れないが、やはり修業という類いに入るものだった。でも、どうしてもできなかった日 もありこそすれ、100日写経をやりとげた時は、本当に、『千里の道も一歩から』という強い信念が生まれた。その後、膨大な仕事に取りかかる時でも、毎日、少しづつすれば何でもないさ、出来るさ、と言う自信につながった。写経することが、わたしを鍛えてくれたのだった。

少し寄り道をしてしまったが、年の瀬、12月28日に除夜釜をした。
この頃の我が家の庭には、赤い柊の実ぐらいしかないかなと思って、なにげなく玄関先の小さな庭をみたら、なんと、清楚なクリスマスローズが開きかけているではないか! 今年の春、大の親友が逝ったとき、それまでマジェンタ色の蘭が新しくつぼみをつけ、 ゆっくり、ゆっくり開いた時は、真っ白なのが咲いた話を以前にしたが、この我が家のクリスマスローズも、 はじめ植えたときは、おなじく濃いマジェンタ、紫のような色だった気がする。それをひとつ手折って、 青みの小枝をつけて、茶室に生けた。禅昌寺の和尚さんに弟の形見にと書いていただいた『夢』の色紙をかけ、 お客様ふたりだけをおよびし、NYCから帰ってきていた娘に習いはじめた『盆略点前』をしてもらった。 とっても暖かな、和やかな除夜釜だ。主菓子は、清閑堂の柚子菓子、小さな柚子をくり抜いて中に 白あんがはいっている季節のもの。そしておそば。シアトルでお気に入りのおそばと更級のつゆが手に入るので、 いつでも簡単にできる。わさびは、本わさびがチューブに入っているものを日本から買ってきたので、 それを。翌日29日に今年最後のクッキングレッスン、パスタクラスを教え、そのあと30、31日は 御節作りで大忙しの中、忙中閑ありの除夜釜、心で弟を偲びながらの茶会だった。

 

2010年12月




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