杉山洋子料理工房
 


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FOOD TALK

教室でお料理を教えたり、世界の「食」を求めて旅をしたり、 また日常生活の中から役に立つアイデア、新しい発見、感激など、「食」に関するエッセイをお届けします。



白い胡蝶蘭

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3月はじめ、オーストラリア、ニュージーランドの旅から帰ってきて一番おどろき、うれしかったのは、 昨年たまたまCOSTCOで買ったきれいなマジェンタ色の胡蝶蘭が、またつぼみを付けたこと。 買ったはいいものの、しばらく楽しんだら、なんだかあっと言う間に花が散り絶え、その後、クリスマス・イブに ピアノの先生からいただいた胡蝶蘭のほうが、うーんと長―く長く花を咲かせ、楽しませてくれた。 その枯れた方のマジェンタを窓辺の、それも暖房穴の真上になにげなく置いておいておいたのだが、しばらく留守をしている間に、 小さな小さなつぼみをつけてるではないか。COSTCOのはやっぱりだめね、と思っていたのに、なんと2世ができている。 そして、日に日に、わずかではあるが成長しつづけている。今までで初めて胡蝶蘭に2世が芽吹いた。

photoそれから3カ月、1週間に一度は水やりをし、水気を完全にシンクで切ってから、鉢に戻してやる。そうして迎えた4月中旬のこと。 主人がメキシコ出張から日本の取引先の社長さんを連れて帰って来たその日、今から我が家でねぎらいのディナーをというその前に、 主人が顔色変えて、オフィスから降りて来た。なんと、私の神戸の大の親友が亡くなったというメールが主人のコンピューターに2人の方から入っている!と。

お客様方もすでに到着されて、今から歓迎のシャンパンを抜こうという矢先のことだった。ショックをこらえ、 楽しいディナー・パーティーをし、お客様を送り出してから、夜11時ごろ、神戸の亡くなった彼女の親友に電話。 何が何だか分からないまま1時間も話こんだ。

翌々日もお料理の生徒さんに教え、その後にはポットラック・パーティーをするので、翌日も準備に走り回るし、 ゆっくり彼女の死を悼む暇もない。日々が過ぎ、彼女の最愛の妹さんからメールをいただき、また電話もいただき、 やっと事情がよく飲み込めたのだが、膵臓癌にかかった友人は、宣告からたったの2カ月の命だった。

普段なら南半球へ、娘との旅行を楽しく報告しているはずが、なぜかメールするのがためらわれ、筆無精になっていた。 ちょうどそのころ、友人は全力をふりしぼって、癌と闘かっていたのだ。

こちらでは、すこーしづつ、目に見えるか見えない位の速度でちょっと大きく育つ、 まだ若緑の胡蝶蘭のつぼみにすっかり気をとられていた。ひとつ、ふたつ、みっつ……、最終的には七つ。それが、 もうかれこれ1カ月前だと思うが、はじめて一つのつぼみがさいた。小さな、そして清楚な白。

ひとつづつ開花していって、雪のように白い、清楚な花がもう五つも咲いている。それにしても、 はじめはマジェンタの色だったのに……。とてもとても不思議な思いがするのは、それが、いとおしい友人の姿をみるようなのだ。 白装束に身を固め、あちらの世界へ旅立った、まだ旅の道中かもしれないが、10年ほど先に亡くなられた、 それも国際神戸のハイカラな気風をたっぷりとりいれたチューダー調の建築が得意だったご主人の先生のもとへ。

長くインターナショナル生け花、神戸チャプターの会長をつとめ、パーティーを企画するのが大好きで、 社交的で思いやりが人一倍もあり、何事もさらりと受け止め、おしゃれで、可愛くて、私より11歳も年上だったのも 忘れたお付き合いだった。私がプランする旅には、ほいさっという風について来てくれた。

京都、大阪、丹波、有馬、六甲、椿山、パリ、プロバンス、珠洲、輪島、伊賀、能古の島、そして、昨年の秋は、我が亭主もふくめて、 5人で佐久島へ。いつも、とっても楽しんでくれて、和気あいあい、人生のいい時をいっしょに過ごした。 このシアトルにも4回ほども来てくれた。いつかポートタウンゼンドのWooden Boat Festivalには、ばーばクルージング(私達は、いっこうにばーばだとは思っていないのだが、実際の年は?となると、 もうめっちゃばあさんなのに、若い時そのままの気分で)に4―5日もピュージェット湾をふたりで航海していったのだった。 ヨットは30数年ぶりという彼女を乗せて。

夜明け前にシアトルを出航し、明けの明星がくっきり東の空にうかび、瞬いていたのが印象的。また、毎年暮になると、 特上の数の子を贈ってくれていた。我が家は彼女からの数の子を心待ちにするようになって久しい。お料理の生徒さん達も お正月の茶懐石でこれをいただくのを楽しみにしてくださっている。

先日、彼女の妹さんから小包が到着した。彼女が亡くなる前日、神戸のインターナショナル生け花のパーティーがあり、 ちゃんと着物をきて出かけたそうな。そして、その時に着けていった帯を形見にと送ってくれた。開けて彼女と対面した気分になった。 その帯が物語るように、最後の最後まで彼女らしい生き方を貫いて。

どんなに病気と闘っていても、国際人、神戸人として、あっぱれな生き方だった。
本当の親友の死に直面したのは、はじめてだった。
彼女の死が、我が身を振り返れと教えてくれるような気がする。
一日、一日を愛する家族や友人を思いやり、また、自分ができるのは、なにかと考え、社会にも奉仕し、 自分が生かされていることを感謝しようと思う。

友人の最後の言葉をわたしもいいたい。『楽しかった。ありがとう』と。

合掌

2010年5月




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