杉山洋子料理工房
 


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FOOD TALK

教室でお料理を教えたり、世界の「食」を求めて旅をしたり、 また日常生活の中から役に立つアイデア、新しい発見、感激など、「食」に関するエッセイをお届けします。



茶懐石

photo 一椀のお茶(濃茶)をおいしく飲んでもらうためにお出しする料理を茶懐石と呼んでいいだろう。 そして、それらすべてをとり行うことを茶事という。

今日、日本で茶事をするというと、吉兆だの、辻留だの、どこそこの料理屋さんだのと、仕出しを頼んで、 茶菓子は、また、どこそこの御製でと、なにもかも金任せ、人任せで、まかなえる。でも、 このアメリカでそんなことできようはずはない。また、日本でも、偏地に住んでいれば、それもかなわない。

本来にかえって、そんなにおおげさでなければ、茶事はできないものであろうか。 もちろん、正式なことをしようとおもえば、茶室もいる。でも、たかが、 一椀のお茶を喫するためにありとあらゆる道具、場所を用意し、それを盛るものも調達するなんて……、誰もが尻込みするだろう。

photo 私の建前は、茶碗一碗、抹茶、茶筅があれば、事足りる、キッチンでもお客さまを呼べるという、いたってなんでもないことと思っている。 もちろん、茶懐石も正午の茶事の正式なものから、夏の朝はやくにお客を迎える朝茶事、 ゆうざりの茶事、夜噺の茶事とかいろいろあるが、要するに家庭でできる、ふだん食べているものをちょっと形式にのっとってお出ししたり、 その時々、臨機応変にあわせて、みつくろってだせばいい、肩のはらないものであればいい。心をこめておだしすればいいだけの話である。 そうすれば、ほんのちょっとお茶の心得があるだけで、楽しみは広がる。

20代はじめの若いころ、遠縁のいとこに声かけられてお茶を習いはじめた。 先生は70代の中頃、裏千家、先々代の淡々斎が出稽古にいらしていたような先生について、お稽古日が土曜日の午後からだったので、 よくその頃、ヨットレースに無我夢中で、ひと月に一度ぐらいしかこられません、とか、いってはじめたものだが、 そのうち道具類も、ありとあらゆるものが箱書きのついたようなもので、よその商売にしているようなお茶の教室なら 決して使わせてもらえないようなもので練習させられ、物を本当に大事に扱うことを覚えさせられ、 またその美しさ、美学にはまってしまって、それこそ、ヨットレースそっちのけになってしまった。 釜に湯のたぎる音、お菓子の取り合わせ、季節感、そのうち、お茶の新年の11月には炉開き、口切りの茶事、 1月は初釜と、たいへんなごちそうがでる。それらがまことにうれしく、好ましく、自身の体の一部になっていった気がする。

photo それまでのおごった三汁九采だのの本膳料理から千利休が整えたとされる一汁三菜が茶懐石の基本といったらいいだろう。 お敷きに一文字の飯、汁、そして向付、つぎに、主菜の椀盛り、その後焼き物がその骨格。向付にあわせて、まず一献のお酒、 そして主菜の椀盛りで、二献め、その間、汁替えをしたり、飯もおひつに盛ってお出しし、お客様にあずけ、お酒も預けておく。 お客様にゆっくりと食事を楽しんでいただき、亭主側は水屋(キッチン)でご相伴する。 その後、箸洗いという小吸い物が出て、さらに山海の珍味をとりあわせた八寸、それにあわせて三献め、 この時、亭主と客の間で千鳥の杯といって、酒の献酬をする時もある。あと香の物と湯斗が出て食事が終わる。 もちろん焼き物のあと、預け鉢とか進肴とか、亭主の心意気を出すためにごちそうが出るときもある、大応にして、 このごろの茶事はそんな風、でも、いくらでも省略、簡略できる。

お茶を習ったおかげで、こういう事も覚えられ、また自分で手がけるようにもなった。 年に2回、本物の材料を求めて築地や錦市場に買い出しにも出かける。その都度、器や漆、道具類も少しづつだが、買い足す楽しみがある。

秋、10月は私の母が亡くなった命月なので、この季節茶懐石をつくると、必ず精進と決めている。 精進といっても、秋の豊かな収穫の時にあたり、また、松茸も豊富につかって、大のごちそう月でもある。 日本の風情を椀にうつし、それを楽しみながら献立をたてる。なんて、風雅なことだろう。 よくぞ、日本人に生まれけり。風流が大好きだった父母のおかげで、今、このように、気持ちからうまれ出る自然なこころ映え。 器にしろ、料理にしろ、自分の努力で見つけられるものを使って、心から用意すれば、人から喜んでもらえると、自負している。

お菓子も主菓子であれ、干菓子であれ、なるだけ手製をつかっている。アメリカ人のお茶のクラスメートは、京都にまで修行にいって、 老舗から習ったことをベースに、日本語でかかれた和菓子作りの本を翻訳して、スクラッチからつくって、今では教えている。玄人はだしである。

その昔、塩月弥栄子さんがシアトルにおみえのとき、歓迎の大茶会の後日、シアトルの日本庭園にある茶室で、 こじんまりした釜をかけ、お茶会がありその時の素朴な手製の和菓子をことのほか喜ばれたことがあった。 そして外国であるからこそ、日本だったら和菓子屋さんに注文するところを本物の茶の心が生きているともおっしゃった。

ある夏休み、大学生だった娘を日本の友人(NHKなどでも料理の先生)に1ヶ月半、料理、家事修行のためあずけたことがあった。 ついて、翌々日に、武者小路千家のお家元の茶事に連れていかれたのだった。我が家で、 普段からお茶事にのっとってのお箸のあげおろしだけは、教えていたので、たったそれだけで、ぴしっと決まっていた!というから、 お茶の教えは、なんと日常の生活に役に立っているかを間のあたりにしたことだった。

お茶をいただく前にほんの空腹をみたすものであったら、点心であれ、そば一杯であれ、茶の懐石といえよう。 また、ほんのちょっとした茶の心得は日常の生活を豊かにしてくれるもの。そして、なるだけ、若い時から身につけることに超した事はない。 熟年になってみれば、また、末広がりに楽しめることが、一杯、充実感がある。

若い人達にどう伝えていけるか、私なりの茶懐石を教えている今日この頃である。

2005年10月

この記事は2005年11月1日発行の日本語月刊情報誌『YOUMAGA』の 「ぶらり、好奇心充足の旅へ うんちくワンダーランド、第3回、茶懐石」というコラムに掲載されました。






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