FOOD TALK
アラスカクルーズ
何年前だったかオランダに行った時に、ピリグリムファーダーズがアムステルダムから出航した歴史的な話を聞いたことがある。ロッテルダムからニューヨークへHollanda America Lineの大西洋航路があり、その港の景色を見ながら、是非、このラインに一度乗ってみたいと思っていたところ、この8月、その同じHolland Americaでアラスカクルーズに行く事になった。ニューヨークで建築家として働いている娘から親へのビッグなプレゼントだった。
前日まで、茅ヶ崎からベストフレンドの伯母さまで、かつ、著吊な茶懐石料理家の藤野幸子さんが我が家に滞在していらしたので、滞在最後の夜は、パーティーで忙しく、船に乗る当日になって急ぎ荷物をつめたものだった。飛行機の旅行とちがって、船にはいくらでも持ち込める。手当たり次第にドレス類を詰め込む。1週間のクルーズで、正式な晩餐会が2回あり、ドレスアップしなくてはならない。主人は、随分昔にタキシードを調達したのだが、今じゃ、それを着ると『笑えない、食べれない』となり苦痛なので、ふつうのスーツを詰めている。
当日、通関を済ませ、かってヨットを舫でいたエリオットベイ・マリーナ横の大埠頭に、憧れのHolland Americaが繋がれている。チェックインして、我々の部屋のバルコニーの椅子にすわって、マリーナを見下ろし、なんとなく感慨にひたっていた。出航予定より、少し早く、長笛一声、大きなスクリューをまわして岸壁を離れる。ふだん、シルショーベイから小さなヨットでセーリングしていると、いつも土曜日、日曜日に、何隻ものアラスカクルーズの船が出て行くのを見上げているのだが、今回は、我々が他のヨット群をはるかに見下ろしているのだ。大きなクルーズシップの甲板からはるかに自分のテリトリーの海が見渡せる。なんて、すてきな景色だろう! こういう海に普段セーリングできる幸せをかみしめ、特別な感慨でもって、なじみのあの岬、灯台、と慣れ親しんだ景色をながめいっていた。
今から39年前、ほぼ40年も前、横浜から、APL(American President Line)の President Monroeに乗ってホノルルまで、1等に乗って太平洋を渡ったのだ。下船し、ホノルルで3日ほど滞在して、今住んでいるシアトルへ。日本では大学を卒業し、会社勤めも2年少々し、ワシントン大学に聴講生として短期留学。その時、日本外洋帆走協会・大儀見会長の紹介状をもって、シアトルヨットクラブに自己紹介し、メンバーを紹介してもらい、そのおかげで、ヨット三昧の日々が続いた。火曜日の夕方のポイントレースに出たり、休みの日は、もっぱらヨット浸り。ビクトリアからの世界的なレース「The Swiftsure race《にまで出場する機会も得られた。
ふだんから、ヨットで海にでると、いつも何かすることがあり、いそがしくしているが、この大きなクルーズシップは、自分で操縦することもなく、手持ち無沙汰で、することといったら、食事に、お茶に、食事に、食事。朝のプロムナードのコーヒータイムからレイトナイト・スナックまで、18時間は、食、食、食がぎっしり。昔の航海からすると、いかにも近代的、現代的になったものだ。また、西経を旅するのでなく、緯度を旅するので、時差など、ほとんどないし(航海の途中、一度だけ、1時間違っただけ)、都会に住んでいるのと変らない。ただ、楽しかったのは、毎朝、ワークアウトで、トレッドミルを使ってどんどん歩くが、ジムは船首にあるので、まるで、海の上をあるいているような爽快な気分が味わえる。それも、普段私が行っているジム、プロクラブまで運転をしなくていいことや、ネイルをしてもらいに行っている間も、サービスを受けている間も、ひねもす海を眺めていられる! この一週間は、運転もしなくていい、ごはんのしたくもしなくていい、もちろん、そうじも。ひたすら、今日のスケジュールで、楽しそうなのを選ぶだけ。もちろん、CULINARY ARTといって、クッキングクラスも毎日あるが、なにか、プログラムが、ショウっぽすぎて、私のほうが、よっぽどうまく教えられるけどなあって思う。ダンスが苦手な主人をさそって、ダンスレッスンに行ってみるが、ビギナービギナー用のレッスンで、物足りない。ダイニングは多種あって悪くはないけれど、クルーズでもとびきりおいしい食事にありつけるクルーズってないだろうかと思う。ヨットで航海してて、これだけでるようなのは、多分に感激だろうけれど。
JUNEAUにつくと、雨。年間325日ほど雨がふるそうだ。 グレーシアーを見に行き、サーモンベイクを食べにいく。グレーシアーのビジターセンターで、本物の何万年も昔の氷をさわらせてくれる。圧縮されて、なかなか溶けないらしい。自然がつくったブルーがきれいで、みとれてしまう。
グレーシアベイに行く日は、ポートサイド(左舷)にクジラがたくさん見ることができた。あちこちで、潮をふいている。圧巻は、グレーシアのすぐそばまで、いって、グレーシアが海におちる怒濤のひびきを見、聞くことができる。いつまで見ていても飽きない。この日、乗客の中で、今から50年ほど前か、日本から第一次南極地域観測隊として出かけたというご高齢の地質学者・松本博士とそのご家族と知り合いになり、いっしょに船首のテーブルを囲んで、グレーシアを見ていたものだ。
次の寄港地はシトカ。簡素な田舎町。ダンジネスクラブを引き揚げに行き,ロッジでごちそうになるというツワーに参加した。フレッシュそのものがでたらいいのだけれど、前々から調理したのを暖め返したような、やはり、ツアーだ、仕方がない。ただ、どのテーブルが一番たくさん食べたか殻をパイルにして、競争したのは、余興で客を楽しませてくれたものだ。 シアトルでは、ヨットで、ポートマディソンまで出かけた時に、ポートマディソンヨットクラブのゲストドックに我が愛艇、DOLLYを繋いでいたら、隣にまたすばらしいウッドンボートが入ってきた。また、すぐにでかけて、帰ってきたと思ったら、ダンジネスクラブのとれたてを二匹くださった。『あなた方の船のすばらしさに!』と言って。 わあー、すごーい、その日は、そこで、停泊することに決め、ヨットクラブのキッチンを使わせていただいて、大きなポットでゆでる。レモンもアイスボックスにもっていたのだ!
とれとれのゆでたて、どんなにか、おいしかったことか!それに触発されて、次の週末、クラブネットを買いセール屋さんにおそわったシークレットベイにクルージングに行き、いざ、見よう見まねで、クラブネットをおろす。一晩寝て、朝、引き揚げたら、何匹かはいっているが、規定サイズのものではなく、どんどん網から逃げ出して行き、残ったのが三匹。そのうち、一匹は、あげる途中でにげ、収穫は、二匹。ものの見方は、普段から、いいもの、フレッシュなものに接していると、にせものだったり、ごまかしものだったりが、はっきりわかるということ。ツアーで、でてくるかにも、その日にとってきたものではない!なんて、どんなにか、がっかりか。ま、いた仕方がない。
ケチカンでは、港のまわりは土産もの屋さんだらけ。このクルーズをプレゼントしてくれた娘へ、なにか、おみやげを買いたい。アフリカからのめずらしい石がいい値段で手にはいるとの宣伝文句に殺され、その気になってイヤリングを買ったが、サインしたら、まことにおそまつな箱にいれようとするので、もういらない、払い戻しして!と頼むと、それは、できないと、こちらの弱みにつけこみリファンドしてくれないのだ! みすみす、何百ドルかをただのガラス玉かもしれないものをつかまされた気がするのだ。みなさん、要注意ね!最後はビクトリアだが、一週間前、お客様の藤野幸子さんを連れて、SOOKE HARBOR HOUSEへ行ったところだったし、下船する必要もないので、船に残ってイタリアンの夕食をゆったりした気分でいただく。ただ、食材は、もう新鮮ではない。このクルーズで本当に楽しかったのは、ディナーのシーティングが8時だったので、毎夜、アペリティフとジャズや弦楽四重奏を聴きにいったこと。また、ドレスアップする日は、決まって、写真撮影をしてもらい、なかなか上手だったので、何枚もいい写真が記念に残った。主人と、これからは、一年に一回でも、毎年、どこかにクルーズに行きたいねと。我々も、どうやらそんな世代にはいったらしい。
2011年8月